【印刷立会いレポ】湯浅啓様写真集『Notochrome』
4月のとある穏やかな日、写真集『Notochrome』の印刷立会いで龜鳴屋・勝井様、写真家・湯浅様、デザイナー・橋詰様がご来社。終始和やかな雰囲気の中、制作の裏話も交えお話を伺いました。
この写真集は能登の日常風景を撮影したもので、すべてモノクロでまとめられています。モノクロである意味や想い、タイトルに込めた願いがあとがきに綴られています。
能登を写真でとどめるのに、カラーではなく、私はあえてモノクロを選びました。モノクロは色彩がない部分を想像が補い、撮影した「今」だけでなく、時間を超えて様々なことを想起させる力があると思っています。長い年月によって形作られた能登の生活や風景、それらの普遍性を現すには、モノクロが相応しいと。タイトルは「能登」の「モノクローム」だから、両方の単語を併せてノトクローム。私の造語です。最終的にアルファベットの『Notochrome』としたのは、世界に通じる魅力を秘めた能登半島を、国内外の多くの方に感じてもらいたいという願いから。能登は長い歴史と豊かな自然に育まれた、奇跡のように美しい半島です。
(『Notochrome』あとがきより)
『Notochrome』の構想は、今から遡ること6年前。2018年に開催された湯浅さんの同名の写真展を見た勝井さんが、これは是非写真集にしては?と話を持ちかけたのだそう。
そして、湯浅さんが撮りためた膨大な写真の中から、勝井さん・湯浅さんとで掲載写真のピックアップをスタート。途中、偶然に偶然が重なったご縁(もはや必然)で、アートディレクターとして橋詰さんが参加。版元である龜鳴屋の勝井さんは「本がとにかく大好きで、いつもは自分でデザインしています。今回橋詰さんがデザインを引き受けてくれたことで、これまでの龜鳴屋とは全く異なる形になる、幅が広がるのがとても楽しみなんです」と、嬉しさを抑えきれない様子で語ってくださいました。
悩みに悩んだ用紙と刷り色
今回は本番印刷に至るまで、用紙違いや刷り色違いで様々なテスト校正を行なっています。湯浅さんの写真が持つ温かみに合わせ、用紙はb7ナチュラルに決定。刷り色はスミのダブルトーンの予定から、西谷内PDの「湯浅さんが心動かされた瞬間の能登の情景や空気感、風景の奥行きを極限まで印刷で表現したい。そのためにはもう1版必要」との判断で、急遽本番印刷一週間前にスミのトリプルトーンに変更したとのこと。
「中間トーンの多い写真は製版、印刷設計含めかなり頭を悩ませました。なので本番でどんなふうに再現されるか楽しみです」と西谷内PD。聞いているこちらまでワクワクしてきます。
未来へつなぐ、こだわりの表紙
表紙は、この先もより長く持つようにクロス貼りに箔押しの上製本に決定。そこへ勝井さんと湯浅さんからもうひと手間かけたいと“継ぎ表紙”の提案があったそうです。
クロスと紙を組み合わせた継ぎ表紙は「地震で以前の風景ではなくなってしまったが、能登がここで絶たれてしまうわけではなく、これからも続いていくという意味を持つんです」と勝井さん。この意味づけに「全員がストンと腹落ちした」というのも納得です。
さらに難航したのが、継ぎ表紙に使う用紙決め。
ディープマットでほぼ決定していたところ、橋詰さんが「少し赤っぽいのでは…」と意を決して進言されたとのこと。「誰か一人でも引っかかりがあるのはダメだと思ったんです」と振り返る湯浅さん。
そして決定権は橋詰さんへ。「版元から任せていただけるのにはとても驚きましたし、ありがたかった。世間に名を馳せる有名デザイナーならわかりますが、普通はあり得ないです」と恐縮される橋詰さんでしたが、勝井さんの、橋詰さんに対する厚い信頼を感じるお話でした。
決定したのはなんと印刷立会い当日。自然界の物や事象から抽出された色彩を持つ「ビオトープ」が橋詰さんから提案され、満場一致で決まったそうです。
印刷現場へ
印刷立会いの目的は人それぞれ。本機校正やデジタルプルーフでチェックしていても、紙にインクを落とす瞬間まで、どんなものが上がってくるかわかりません。湯浅さんは「刷り出しを見て、落とし所を判断しないといけない時もある。それを判断できるのは、写真家本人やアートディレクターだと思って来ています」。橋詰さんは「今回は湯浅さんと同じ目的ですが、単純に楽しいから来ていることがほとんどです」とのこと。
刷り出しをチェック。
シャドー部のディテールもしっかり出ているか、グラデーション部分のトーンが飛んでいないかなど、色んな角度から、入れ替わり立ち替わりじっくり眺める皆さん。西谷内PDを交え何やら話し合っています。
とその時、PDが印刷機の方へ移動。
聞くと、
「雲ひとつないはずの空の部分に靄がかかったような模様が出ているので、着肉をよくするためにブランケットを締めているんです」
3年前まで印刷機のオペレーターをしており、機械にも精通している彼女ならではの素早い判断。問題の部分はすっきり澄み渡った空になり、橋詰さんから「さすが!」の声が上がりました。
トリプルトーンにした理由
当初はスミ+スミのダブルトーンだった刷り色からトリプルトーンに変更した理由を、西谷内PDが印刷機を開けて解説してくれました。
「中間トーンで構成されている写真は、ダブルトーンだとシャドー部のディテールを出そうとした場合にどうしても濃度を下げざるを得ず、中間部分の調子が軽くなってしまいます。トリプルトーンであれば、1胴目に中間がしっかり出ている版、2胴目に通常の調子版、3胴目にシャドー部を引き締める版を入れることができます。特に1胴目の版を「ふんわり版」と私は呼んでいます。この版があることで中間部のボリューム感を損わずに暗部のディテールも表現できるんです」
「ふんわり版」…なるほど、感覚的ですが言い得て妙な名付けです。
西谷内PDは、印刷前に必ず行うことがあります。それは印刷オペレーターにお客様の想いを伝えること。
「お客様の想いを知っているのと知らないのとでは、その作品への向き合い方が全然違うし、出来栄えも大きく変わってくる。お客様の想いを現場に伝えられるのはPDだけだと思っています」
美しい能登の風景が再現された刷り取りを前にそう語る彼女。ここでも想いを「つなげる」姿を見ました。
能登に想いをつなぐ
1月1日の能登半島での地震を境に「モノクロ」であることが別の意味を持つようになりました。
このタイミングで『Notochrome』を出すことに「正直、怖さはあります」と語る湯浅さん。このままこの写真集を出していいのかとても迷われ、被災地に住むご友人にも聞かれたそうです。見る人にとってどうあって欲しいかとの橋詰さんの問いに「喜んでほしい。現状大変だけど、生活を戻していく中で、こんな風景があった、この写真集を作ってくれてよかったと思って欲しい」とゆっくり、願うように答えられていたのが印象的でした。
湯浅さんをはじめ、様々な人の想いを能登につなぐ『Notochrome』。心に刻まれた風景を想い起こさせ、また、その時々の感情を映し出す鏡にもなります。何度も繰り返し見たい、そんな写真集です。
この度は取材させていただきありがとうございました。
作品はこちらからご覧いただけます。
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Notochrome
※2024年6月1日発売
著作者 ︱ 湯浅啓
発行者 ︱ 勝井隆則
発行所 ︱ 龜鳴屋
グラフィックデザイン ︱ 橋詰冬樹(TOR DESIGN)
PD ︱ 西谷内和枝
進行 ︱ 澤崎達雄
製本所 ︱ 株式会社渋谷文泉閣
〈仕様〉
糸かがり上製本 角背 ホローバック
サイズ:本文 天地185㎜×左右212㎜
頁数:本文 184頁
表紙:ビオトープGA-FS ストーングレー 四六Y目120kg 箔押し(ツヤスミ)
背表紙:ワールドクロスシルキー NO242-47 箔押し(ツヤスミ)
花布:伊藤信男商店 73番(灰)
見返:アラベール-FS ホワイト 四六Y目130kg
本文:b7ナチュラル 四六Y目99kg トリプルトーン
湯浅啓写真展「Notochrome」
会期 ︱ 2024年5月24日(金) ー 30日(木)※会期中無休
時間 ︱ 10:00 – 17:00
会場 ︱ きんしんギャラリー(石川県金沢市南町3‐1南町中央ビル2F)