2025年4月12日
コラム

【episode】砂金のバラッド

高速で回る印刷機、変化する色調、光る警告ランプ、焦る進捗、ギリギリの集中力。
私は多くの印刷予定を抱えていた。手が止まれば仕事は止まる。止まった仕事は溜まるだけ。
誰かが代わりにやってくれるわけでもない、だから止められない。そんなきりきり舞いの印刷現場。
この日も慣れてしまってはいるが決して受け入れたくはない日常をこなしていた。

「きれいな印刷物はきれいなマシンからしか生まれない」これは熊倉さんの言葉だ。
掃除と私と熊倉さんを結ぶエピソードを述懐する。

作業真っ最中の傍ら、ふと、稼働中の長い印刷機の向こう側からこちらに歩いてくる人影が見えた。安全帽に作業着姿だ。その人影が、何か私に呼びかけている。通りの良い声はしているが機械の音で何と言っているのかわからない、誰だろう。

近づいてくると見覚えのある笑顔が帽子から覗いて、それが熊倉さんだったとはじめて分かった。すぐに気づけなかった自分に、はたとした思いがあったが、それは熊倉さんと言えばスーツのイメージがあったからだ。真っ黒で仕立ての良さそうなスーツか、もしくは白衣。

しかし今はどうだ。有名デザイナーや写真家と色調について熱く語り合う、あの伊達男の趣はどこへやらで、作業着安全帽姿はお世辞にも似合っていない。戸惑う私に、熊倉さんはいつもの笑顔で「よう田中、掃除をしよう」と語りかけてきた。突然のゲリラ来訪と思いがけない申し出に、すっかり虚を突かれてしまった私は断る気にもなれず、わかりましたと答えてしまった。

え?今?本当のところは寸刻も作業を止めたくない心持ちなんだけど、という本音が周回遅れで湧いてきたが、既に了承もしてしまっている。印刷中ではあったが一旦中断して清掃をすることにした。

熊倉さんは印刷機の出口部分、ガラスの向こうに見える用紙搬送のチェーンの汚れが気になるようだった。ここは乾燥用のパウダーが舞うところなので、機械を稼働させると必ず白く汚れる。きれいにしてもすぐに白く元通りになってしまうので、日々の清掃もあまり身が入らず、確かにこの日も汚れていた。熊倉さんは「このチェーンはどうやって掃除するのか」と聞いてきた。コンプレッサーで吹き飛ばしながらブラシで清掃しています、と伝えると「ならやろう」とすぐに答えた。


***


それから40分くらいだっただろうか。チェーンは左右に一本ずつあるので私たちは黙々とチェーン掃除を並んで始めた。ついさっきまで空間を大きな音で埋めていた印刷機はしんと静まり返り、今はブラシがチェーンをこする音と、パウダーを吹き飛ばすエアーの音しか聞こえない。私はこのとき妙な心地よさを感じていた。
こんなことやってる場合じゃないんだけどな、という気持ちもあったがそれ以上に何となく嬉しかった。会社の上役が一緒に自分の機械を掃除してくれたからである。

これまでいち現場作業者としての私が、エライ人に対して感じていたのは「指摘するのはわたし、掃除するのはあなた」という線引きだ。作業現場は作業者自身によって片付けられるべきだし、上役と一般社員という立場の違いもあるのは理解できる。しかし共感という軸においてはどうだろうか。仕事だから、といった正当性や義務感だけで人は何でも割り切れるものだろうか。響かない言葉に接したとき、どれだけの人がその言葉によって動き、行動を変えるだろうか。

熊倉さんの好きだったところの一つに、印刷現場との心理的距離の近さが挙げられる。それは、印刷作業員一人ひとりの名前を覚えて呼んでくれることであり、笑顔で気さくに挨拶してくれることであり、最近の調子を聞いてくれることである。人心掌握術といった小賢しいテクニックめいたものではない。飾り気のない、ごく自然なやり取りだ。

私にとって新たな認識との遭遇は、機械を掃除しなさいと言うだけの上役は何人もいたが、熊倉さんは自らも掃除に参加する上役だった、ということだ。
『きれいな印刷物はきれいなマシンからしか生まれない』交通安全の標語となんら変わりない重みしかなかった「よそ者のスローガン」がこのとき、「私の言葉」に成り代わった。それは他でもない、発信者が自分と同じ側に立っている姿を、この目で見たからである。

確かにそうだ。印刷物は人に見られるために作られる。そして、この会社はより美しい印刷物を志す会社だ。しかも印刷現場に積極的にお客様を招く印刷立会いを推奨している。色調的な美しさはもちろんの事、その美しさに説得力を持たせる上で作業現場の見栄えも整えておくべきだと思う。

ひととおりチェーンを掃除し終えた熊倉さんは満足そうだった。作業着はところどころ汚れ、帽子も白くなっている。私はいつものスーツじゃなくてよかったと思いつつ、感謝を述べた。熊倉さんはこの状態をなるべく維持するように、と一言残し去っていった。

一体、今のは何だったのだろうか。さてさて仕事だ。再び機械を始動させ、中断していた印刷を再開した。やらなくてはいけない物件は山のようにある、止めている場合ではない。でも、不思議と悪い気分はしなかった。

熊倉さんが亡くなって2年が経つ。

突然の訃報を聞いた時、頭の中の私は最後に会った日に走り、記憶の砂を急いで掴み上げた。
簡単に忘れ去ってはいけないもの、何となくそんな予感がしたからだ。
色もなく音もなく止まったままの記憶に対し、移ろう季節と喧騒の日々。
そんな毎日を過ごすうち、大事に思ってしっかり握っていたはずのそれも拳の隙間からこぼれ落ち、忘却の黒い海へと徐々に還っていく。
その太陽のような笑顔も、通りの良い声も、随分と朧げな記憶になった。

しかし、例えそのほとんどが落ちてしまっても、手のひらにわずかに残った砂粒の中に、この掃除の体験は必ず含まれる。
これはただの砂粒ではない、砂金だ。
これは捨ててはダメなものだ、そんな確信がある。だから必ず残る。
会社の上役が自分の印刷機を一緒に掃除してくれた。たったそれだけ。
その小さな事実のおかげで、私は清掃に取り組む自分自身の姿を肯定できるようになった。
もちろんこれからも続けるし、後輩にもその姿を見せるだろう。

黒い海の前で白い印刷パウダーにまみれた砂金を、私はたまに取り出しては眺めるのである。

(PD:田中友野)